私的な備忘録

どちらかと言うと個人的な趣味・興味についてつらつらと。

新選組ゆかりの聖地(多摩エリア)を自転車で巡礼してみた。

少し前に司馬遼太郎の『燃えよ剣』と『新選組血風録』を読み直しながら登場する場所を地図で眺めていたところ、新選組の中核となった人たちの出身地である多摩エリアには、彼らにまつわる史跡が多摩川を挟んでいくつか現存していることを知った。それらは多摩川(のサイクリングコース)からそう離れていないところにあり、自転車でアクセスしやすく巡って回るとサイクリングに程よいルート・距離になるように思えた。そこで先日、多摩エリアにある新選組ゆかりの(聖)地を実際に自転車で巡ってみた。

スタートは近藤勇の墓地(龍源寺)と生家跡(近藤神社)。

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何の前触れもなく近隣の風景に溶け込むように道路沿いにあり、うっかりしてると通り過ぎてしまいそうになるほどの存在感。日野市の土方歳三の祀り上げっぷりと比べるとかなり寂しい感じがした。ただ場所はいずれも三鷹市野川公園のすぐ前、調布飛行場ICUの間あたりで、周辺の環境はとても良い。

次に近藤勇が天然理心流の宗家襲名披露の野試合を行った大國魂神社(府中)へ。『燃えよ剣』の序盤で登場し土方歳三があんなことやこんなことをする舞台でもある。

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この辺りは日野と同じく甲州街道沿いの宿場であり、日野宿と府中宿は多摩川を挟んで隣接する位置関係になる。

ここから近藤や土方らが天然理心流の江戸道場(試衛館)と日野道場を行き来する際に利用したであろう甲州街道(現在は国道20号に継承)を走り、多摩川を渡ってすぐの土方歳三の墓地(日野市・石田寺)と生家跡(日野市石田町)へ。

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生家跡はご子孫が在住しつつ一部を資料館として月に2回公開している。この日は公開日ではなかったので後日改めて行く予定。歳三の愛刀・和泉守兼定も5月半ばまで公開されているらしいので(年に一度、一ヶ月間程度の限定公開)。

続いて日野駅近くの日野宿本陣と、日野市立新選組のふるさと歴史館へ。日野宿本陣は甲州街道・日野宿で公家・大名・旗本等の専用宿だった所であり、天然理心流や新選組とも深い関わりを持つ屋敷でもある。

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敷地内に天然理心流の道場が設けられ近藤や土方らが稽古に励んだり、歳三の姉の嫁ぎ先で歳三も入り浸っていたことから、彼が昼寝をしたと伝えられる部屋もあった。

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なお明治になってから明治天皇も訪れたそうな。

近くにある新選組のふるさと歴史館には、新選組に関わる史料(近藤勇の書状など)をはじめ、明治以降に新選組発祥の地から反薩長閥的な自由民権運動が盛んな地へと変遷した歴史なども見ることができて予想外に面白かった。また新選組を題材としたコンテンツの歴史も展示され、1950年代の映画やマンガからはじまり、司馬遼太郎新選組血風録が及ぼした影響の絶大さや、初期の乙女系マンガ(実在の隊士が男装の女性になってたり架空の女性隊士がいたり)もあったりと、これらもとても面白かった。

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最後は関東三大不動の一つでもある高幡不動尊金剛寺土方歳三菩提寺だったこともあり、歳三の銅像や「近藤勇土方歳三顕彰碑」がある。

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顕彰碑は、文の撰者はもと仙台藩の儒者大槻磐渓、書はもと幕府典医頭・医学所長松本順であり、篆額はもと会津藩主・京都守護職松平容保が書いたもの、とのこと。寺内には他にも新選組の史料等が公開されているらしいが時間切れによりこの日の拝観は断念。寺の前で売っていた饅頭を頬張りつつ「土方歳三の涙」というよくわからんネーミングのサイダーを一気飲みして帰路へ。

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炭酸一気飲みはキツいと思いました(最後の感想はそこで良いのか?)。